Re: 生きる

38




私は二十歳すぎの頃、九州には年に4,5回は行きました。

九州小倉に、武蔵研究にとって重要な史料が存在する。それは、小倉城からおよそ五km東の、小倉と門司の境にある手向山(北九州市小倉北区赤坂)にある、宮本武蔵顕彰碑、巷間云うところの「小倉碑文」である。もっとも、「播刕赤松末流新免武藏玄信二天居士碑」と碑文にあるから、それが本来のタイトルだということにはなるが。
 この碑は高さ十五尺(四・五m)ほどの、かなり大きなものである。そして公園内に建っているから、誰でも見ることのできる現存武蔵史料である。
 この碑は、武蔵卒後九年の承応三年(1654)、つまり武蔵十回忌に、武蔵の養子・宮本伊織が建てたものである。伊織は小倉藩小笠原家の筆頭家老であり、領内のこの山を拝領していたから、ここに武蔵のためのモニュメントを建立したのである。

武蔵が死んだのは熊本に滞在中のことで、客死であった。最初は肥後に武蔵の墓が設けられたらしい。それに対してこちら小倉の武蔵碑は、武蔵のもう一つの墓であるということになる。
小倉のは本墓ではなく仮の墓、第二の墓である。しかしそれは肥後側の主張であって、伊織は肥後の墓を豊前小倉へ移転して、この武蔵墓を建立したのである。
面白いですねえ。
武蔵ファンにとっては、そんなことはどうでも良いのです。
武蔵伝説をあちこちから集めています。
もちろん書画も『五輪書』も

user.png ランクル time.png 2024/01/21(Sun) 20:42 No.38
処理 記事No 暗証キー

- JoyfulNote -