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2016年1月1日

まともなジャーナリズム
記事の編集
新年早々の毎日新聞の社説である。

18歳と19歳の若者が、今夏の参院選から初めて投票権を持つ。政治の新たな幕開けにあたり、民主主義とは何かを考えてみたい。
とはじまる。

戦後70年の区切りから、世界の情勢が変わっていくところに阿部政権があるのも何かの因縁かも知れません。
私は終戦の年に生まれました。
焼け野原という言い方もありますが、田舎なので食べ物はなんとか有ったので、田舎で住んでいることの有難さが実感できたのだろう。
その辺のことは子供だったから判らなかったけれど、貧もじい想いはない。
それは母親の実家が農家でもあり、馬喰(博労)だったから食い物には困らなかったようだ。
都会から田舎に疎開してきて親戚に頼ったり、助け合いながら生き抜いてきたのである。
開国は西洋文明に屈しないで世界の仲間入りでき、さらに戦争へと向かっていく流れは70年経った今、どこか似ているのではないだろうか。
日本のよき時代、大正時代は黄金時代だったといわれているが、国民は戦争というものがどういう悲劇を起こすのか考えも浮かばなかったのでしょう。

今年はサル年。
猿でも学習能力があり、閉じ込められている檻から鍵を開けて出て行くこともするらしい。
猿は学習して進化するのに、人間は学習能力が劣っていくというのはどういうことだろうか。

毎日新聞の社説に見る現在の日本人の考え方をひとつの潮流とすると・・・・

『二つの潮流の分かれ目
 日本の社会は今、二つの大きな潮流の岐路に立っている。
 一つ目は、政治でも経済でも、国が目標を掲げて国民を引っ張る、国家主導型の社会である。
 そうしたリーダーシップには、決断の正しさへの信念はあっても、国民への説明責任の意識は希薄になりやすい。国民が理解しなくても、歴史が評価してくれる、という独善に陥りがちな懸念がある。
 もう一つは、一人一人が自分で情報を集め、考え、発言し、決定に参加する社会を目指す流れである。それは、自律した個人の多様な声が反映される社会のことだ。
 民主主義を鍛え直すには、国民が決定の主役となる、後者の道を選びとるべきだろう。若者の政治参加もそのために生かしたい。
 メディアも、公平・公正な報道で民主主義の一翼を担う。
 民主主義に公平さ、公正さが欠かせないのは、政治的決定を社会に浸透させ、国論の分断を防ぎ、社会の融和を図るためである。
 従ってそれは、多数決ではなく、少数意見の側がその選択の過程に納得しているかどうかで測られる、とも言えよう。メディアの公平さ、公正さも、異論や批判を多様に吸い上げることで確保される。
 民主主義は、それ自体が目的ではなく、誰もが住みよい社会をつくりあげる手段に過ぎない。』