HOME『わが故郷は緑なりき』
一、登よ坂上る日の光   ひらめく瀬戸の内海の  西南端の一角に  礎堅き津井の里
二、ここぞ平和の我が里ぞ  眺めのひろき学舎は  これぞ我等の揺藍ぞ  励め力のある限り
三、霞とまごう春の花  山麓の本村に  小鳥の歌も夢と聞く  野辺の遊びののどけさよ
四、暑さはげしき夏の日は  泳ぎにくらす中津浦  赤銅色に身を干して 鍛えし体は岩のごと
五、高き雁来の秋の空   黄金の波の内原や   川尻谷の水遊び   はや夕焼けに松高し
六、北風荒れの冬の海  怒涛乗り切り舟漕ぎに  骨の太りと剛胆は  海国男児の本領ぞ
七、聞け我が村の自治の声  みよ黒煙の漲りを  四隣に誇るこの幸は  やがて我等の肩の上

         これは ※津井小学校の運動唱歌です。
        (校歌ではない。その小学校は廃校となって、辰美小学校となっている。)
 私がいま住んでいるところは、屏風ケ谷というところで谷には小鳥がさえずり花が咲いています。
 そしてミツバチが蜂蜜を蓄える。

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海の匂いのする街はオレの故郷さ
ランクル  2026.5.3-10:14
「人生は長いようで短い」とよく言われるが、そんなことは深く考えず
太く短くいきるんだと若い時は考えていました。
チマチマした考えはしないので、そう今でも変わらないが
友達や年下の仲の良かった人たちが亡くなったということを聞くと
そうや、後何年いきるのだろうかと
「何かを成す」という名人でもなければ、「人のために生きた」というのでもない。
いま振り返って、高校を出て高槻にある大日本セロファンに入ったのが社会人の第一歩なのである。
2年して会社が希望退職を募集したので先輩に誘われて辞めた。
そのとき同期入社には67人いたと思う。
セロファンは日本マタイのレンゴーグループの一角になっているそうだ。
時代の流れをみていると、ダンボールメーカーは大日本セロファンという製紙会社と比べたら格がちがうが、今の経済界をみてみるとそんなもんなのだね。
わが故郷は日本三大瓦産地のいぶし瓦産地だが、このまま沈んで行っている現実に誰も止められないようだ。
炭鉱の町が消えていったのと似ている。
まるで茹で蛙のように、ゆっくりとぬるま湯の中で「いい気持ち」なんだろうかな?

むかしの城主はその城下町を栄えさせるためにいろいろ策を練ったが、いまどきの代官は時代劇にみる悪代官なのだろうか?(^o-)

セロファンを辞めてから、印刷機械メーカーのセールスエンジニアとして、重い工具をカバンにいれて一人旅。
汽車の中から遠くの山や海をみながら駅弁食べたのが懐かしい思い出だ。
小林旭のギターを持った渡り鳥(原健三郎原作の映画)の歌がいつも頭の中に流れていました。
磯の匂いのする街が 俺には故郷さ 

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盆栽なんて‥‥‥‥‥‥‥
ランクル  2025.11.26-10:37
わが故郷は緑なりき

世間の流れとしたら、田舎は廃れていき、大都会に人が集まり、極端にいえば 『東京一極集中』 ってことになっている。

まぁ、やんちゃな若者だったけれど年がいくと誰でも老人になる。
当たり前ですね。
年寄りを連想するのに盆栽いじりがありますね。
世の中があまりにも不況過ぎて、零細企業というても私の場合、それらの関連する城下町の下にあるので、とにかく暇ですわ。
そこで、うちの廻りにいろんな雑木があり、これを何とかいじってモノにならないんかと考えてみた。

頭の中には、年寄りの盆栽いじりが印象にある。
楡(ニレ)の木、黐木(モチノキ)、藤などがあり、ニレはそこらじゅうに種を とばすのか小さな苗がいっぱい生えている。
モチノキは元気が良くて、若い新芽が勢いよく出ている。
藤は刈っても刈っても茂って、事務所の西側に植えているのが、藤の棚として西陽よけになっている。
植木職人ではないし、そんな知識もないけれど植木鉢が何故か沢山ある。
多分草花を買うときの鉢だったのだろう。
種を撒くというのではないから、取り木という方法があるらしいのでネットで見ながらやってみよと考えている。

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テストです
ランクル  2025.11.25-12:50
これはテストです
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