HOME楽しくいこうぜ! どんがらどんと どんとね (^_^)
古き良き時代のサラリーマンの生き様、会社へ出て来て、たいして仕事もせず適当に時間を潰していれば、給料は出るしボーナスも出る。
毎年給料は上がる、毎日会社で適当にスイスイダラダラやってても、首になる心配も無い。
給料も今より遥かに高かったし世の中バラ色、楽しかったね〜
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禅寺黄檗宗
ランクル  2024.7.27-15:19

私は高校卒業して入ったのが高槻市にある大日本セロファンという会社でした。
大日本セロファンは製紙会社で国策企業でもあるのです。
セロファンというのは、木材パルプから抄造して作るもので、透明のフィルム状の特殊性があり、ポリエチレンや塩ビフィルムが出てくるまでは包装資材の花形でした。
大日本セロファンの防湿セロファンは、タバコを防湿セロファンで包装してカットするためにある赤いセロファンが特殊性がうりでた。
入社して1ヶ月間は研修期間で、北浜にある本社で紙について学んだり、京都の宇治市にある黄檗宗大本山「萬福寺」で一週間、早朝5時に起きて境内の掃除、もちろん便所もどこもかしこも、まるでお坊さんの修行のようなことをしました。
儀式作法から精進料理に至るまで、面白いのは履物は上がり端と平行に、それは便所でも同じです。一日2食、しかも御粥と僅かな山菜と漬物。
お茶碗と吸い物碗は食べた後お茶を入れて漬物で洗い布巾で包む。
とにかく合理的というか無駄のない生き方というか‥‥‥‥‥‥
もちろん座禅もです。
私の育った津井というところは代々法華宗なので、他宗教の真言宗は知っていてたけれど黄檗宗というのは知らなかった。
隠元隆g (いんげん-りゅうき)という僧が、将軍徳川家綱(幕府から山城国宇治に寺地を与えられ,(寛文元)万福寺を創建して日本黄檗宗を開いたそうらしい。

つづく
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淡路富士:千山
ランクル  2024.7.27-12:08
先山千光寺
(淡路島中部にある標高448m。愛称は淡路富士)
先山は淡路島全島の信仰を集めるお寺で、イザナギ・イザナミの二神が最初に作ったといわれ、「先山」という名前の由来になっているのだそうです。
山頂にある千光寺は淡路島第一の名刹として知られ、かつては参拝者が絶えることはなく、山上にある茶店も大いに賑わっていたそうです。
縁起によれば、延喜元年(901年)、播州から逃げる大猪を追いかけて淡路島にやってきた猟師が先山にたどりつき、そこで千手観音の胸に自分の放った矢がささっているのに驚いたという。
以後、この猟師は仏門にはいりここに寺を建立したといわれている。そのためか、普通、寺には狛犬がつきものだが、ここでは本堂前に一対の石のいのししが鎮座している。
千光寺には国の重要文化財である梵鐘や、運慶作と伝えられる仁王像、わが国でも数少ない珍しい鉄造宝塔など、多数の文化財があります。
面白い風習として、人の死後三十五日目には、ここ先山へ登り、団子を谷へ転がし、遺髪を六角堂へ納めるという。
私の家は法華経なので千山へのぼる機会はなかったけれど、高校三年間担任して下さった恩師上田先生と同級生13人(席順も3年間ずっと同じだった)の法要として、お経を上げてもらおうと同級生が集まりました。

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淡路島ではこんなことがありました
ランクル  2024.7.26-16:38
淡路島の鼻先で源平の合戦があり、平家の落人がたくさん島にやってきました
それよりずっと前には、政争に破れた天皇や皇族が淡路島に流されてきました。
むかしむかしの物語、イザナギ、イザナミの二神が国生みの最初に淡路島を生みました。
淡路島の周囲には海の道がいっぱいあって、たくさんの船が往き来していました。
大坂湾,瀬戸内海の海上交通路の確保という重要任務は淡路水軍でありました。

江戸末期にロシアの軍艦が大阪湾にやってきて大騒ぎになりったそうです。
庚午事変と呼ぶサムライどうしの争いが洲本の街でありました。
縄騒動と呼ぶ農民一揆が三原平野の一角でありました
淡路島には電車が走っていました。
その頃、津井という辺鄙なところから20キロも離れた洲本へ毎日通学していました。
来年は80歳、むかし風にいうと今年米寿ということになる。

ようこれまで生きたなぁ(^_^)

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