HOME遠くへ行きたい〈画像も投稿可〉画像投稿
知らない町を 歩いてみたい
どこか遠くへ 行きたい
知らない海を 眺めていたい
どこか遠くへ行きたい
(ジェリー藤尾の遠くへ行きたい)

人が未来へ歩んでいくためには、前を向き
自分の正面を照らす光を目指し進まなくてはならない。
人生という名の「旅」はこれからも続く
中途半端な人生(^o^) 
「わが故郷は緑なりき」などという掲示板を作ったり、残りの人生を何かして過ごそうかとしています。
http://awj.s135.coreserver.jp/cgi-bin/viewG/view8.cgi
コンピューターのことを勉強したわけでもないけれど、37か38ぐらいのときコンピューターが面白いと聞いて、私より10歳ぐらい若い人たちがPC88とかPC801とかでプログラムを作って遊んでいる人たちがいた。
私もと仲間に入れてくれと思ったけれど、あの人たちはヲタクやった。
時代は電話も携帯電話はデッカ弁当箱みたいで、東芝のワープロが600万円もした時代なんかも今思うと変な時代だったんだねえ。
そんなとき松下と富士通の共同出資で作ったパナファコムのコンピューターを買った。
パソコンでもないしオフコンでもないぐらいの中途半端なやつでした。
そういう中途半端な人間なので、振り返って見てみると我が人生も中途半端なんですなぁ。
椎茸の菌床栽培を始めたというが、野山で樫の木やウバベ樫を切ってきて、本格的なキノコ栽培をするでもなし、それでも沢山の椎茸が生える。
一端の山のキノコさんである。
これまでは五十五年やってきた印刷屋も元は機械屋から転職して見様見真似であった。
まぁ、子供の頃から運動ができるのでもないし、ワルガキ等と野山や海へと遊び呆けて、社会人になっても危なそうな先輩らに誘われながら楽しい人生でした。
遠くにいるが、何年か前に別れ際「死んでも連絡せんからな」と言って、時々ラインで一方的に送っている。
気がつけば、あの人もアイツも一緒に酒を飲むこともないかも知れない。
本当はパソコン通信が好きで、全国の人たちの沢山の人達と交流があり、大学の先生や市民運動の何人もの人たちがこんな辺鄙なところを訪れました。
もう少し元気な頃は、年がいったら昔仕事でまわったところや、交流のあった人たちのところを訪れたいと思っていたけれど‥‥‥‥‥‥‥‥
昨日は待ち請け箱にミツバチ出入りしているのを見て喜んでいたけれど、雨の日は飛んでこない。
嫌われたんかなぁ‥‥‥‥ いやそんなことはない! はずや *_*

ランクル   2026.4.30-22:09 修正

[管理]

CGI-design